メイン

2007年07月08日

sahoiconの歩み(20)

2006年の春に、サイトも6年経ち皆様のご意見をお聞きしてみたいと思いアンケートを実施させていただきました。その結果、たくさんのご意見・ご感想をいただきました。ドットアイコンサイトのののれんを下ろそうかと考えていた私でしたが、いただいたコメントの大半はドットアイコンに関するものでした。ドットアイコンに対する愛着をお持ちの方がこんなにもいらっしゃるのかと私は驚き、とてもうれしく思いました。
その後、携帯電話で使用される絵文字のお仕事をいただくようになり、ドット絵の需要が再び高まっていることを知りました。今まで描き続けてきた小さなドット絵の技術が、こんなところで役立てられるとは、正直思っていませんでした。
2007年に入ってからは、ドットアイコンの新作を出す回数が少し減ってしまいましたが、これからもドットアイコン・OSX(XP)アイコンどちらののれんも降ろさずに、sahoiconは続けていきたいと思っています。いつかVista用の大きなアイコンも作れればなぁ、と思います。

長らく書き連ねてきました「sahoiconの歩み」は、ここで一旦筆を置きたいと思います。
お読みくださった皆様、ありがとうございました。

2007年03月22日

sahoiconの歩み(19)

2005年3月のリニューアルで今のサイトデザインにする前は、記憶されている方もいらっしゃるかと思いますが、白地に黒のドットのラインという、すごく良くいえば「クール」なデザインでした。その反面ちょっと冷たい感じもしていたので、次に作るときはもうちょっと温かみのあるフレンドリーな感じがいいなと思い、四苦八苦の果てに今のデザインと相成りました。また、前のサイトはフレームを使用していなかったので、閲覧しやすいかと思いそれも使ってみました。が、私がサイト開設した頃には見やすいとされていたフレームサイトに代わり、この時にはすでにサイトの「ブログ化」を進めるところが増えていました。「確かにこの方が管理するには便利だわ……」リニューアル後に気づきました。ということで、次にリニューアルすることがあれば、sahoiconはブログ化されていることでしょう。たぶん(笑)。
さてこの2005年、公開したアイコン18セット(七福にわとりを除く)のうち、OSX・XP用アイコンが12セットと、ついに過半数を占めてしまいました。そのうちフォルダが9セットもあり、いかに気軽にフォルダを作りまくっていたかがわかります(笑)。私はドットアイコンが大好きで、それを公開するためにこのサイトを作ったはずでしたが、それがだんだんと使われなくなっていること、そしてOSXアイコンの方が多くダウンロードされることに気がついていて、どうしてもそれに影響されていたのだと思います。「多くの人に使われなくてもドットアイコンを作って公開する」「楽しいと思うOSXアイコンを作る」どちらも私の中の正直な気持ちでしたが、バランスがとれなくなっていました。そんな迷いから、2006年に「アンケート」を実施させていただいたのでした。

2007年03月21日

sahoiconの歩み(18)

2004年はまた、「期間限定アイコン」を始めた最初の年でもありました。
年始の「さほ神社」と1月17日の震災追悼アイコンは今も続けていますが、この年は「がんばれ受験生」(簡単な学校の問題を解いてアイコンをゲット)企画もやりました。よく考えたら、これも毎年やってもいいんですよね。なぜやってないかというと、「問題」を新たに作らないといけないからです(笑)。それとOSXアイコンも用意した方がいいですしね。この企画、また考えてみます。

さて、この2004年から密かに計画していたのが、サイト名の変更を含むサイトリニューアルでした。
先にサイトのアドレスを独自ドメインsahoicon.comに変えた上で、2005年に入ってから作業を始め、サイト5周年に合わせて新しく「sahoicon」をオープンしました。

2007年03月14日

sahoiconの歩み(17)

話が少し戻りますが、2003年に初めてのOSX・XP用アイコン『Jellyfish』を作りました。これは「こんな形だったら私にも作れるかな」というお試し的なアイコンでした。これと同じ発想で、食べ物のアイコンも作れないかと思い、「輪郭さえ簡単な形にすればいいんだ」ということで作ってみたのが『TV Dinner』でした。器さえ同じ形にしておけば、あとは中に料理の絵を描けばいいわけです。2003年は、こういう控えめな要求を自分に課していくつかのOSXアイコンを作りました。(XPアイコンはOSXアイコンを縮小して作っているため、以後ここでは統一してOSXアイコンと呼びます。)
2004年になると、少しずつ欲求が出てきて(技術が伴っているかどうかはさておいて)、フォルダもそのときのテーマによって違う形のものを作ってみたりして、いろいろなOSXフォルダアイコンができました。2月から4月までなんと7作連続OSXアイコンを作ってしまい、「ドットはどうした、ドットは」と自分でもびっくりするほどでした。夏以降は、ついに(私はいつも最初に、作りたい欲求が技術に勝ってしまうのですが)ハンバーガーや石鹸などアイコン個々の「形」にこだわるようになり、気がついてみるとこの年のアイコンの半分はOSXアイコンになってしまっていました。
今でもそうですが、正直、私はOSXアイコンについては技術的に上手いとはとても思えません。あるのはいつも私の「気持ち」だけなんではないかと思っています。ドット絵でない絵については、いつも門外漢的な気持ちがどこかにあるんですね。

2007年03月10日

sahoiconの歩み(16)

「Cheese Folders」は、受賞作3点の中にありました。しかも、審査員が選ぶ「優勝」「準優勝」ではなく、「一般投票1位(People's Choice)」でした。これは私にとって予想外のことでした。
審査員の主観に左右される可能性もある他の2つの賞と違い、一般投票は純粋に投票のみで決められるから、これは誇らしい結果なんだ、と過去の優勝者の方にお言葉をいただいたとき、私はようやく努力が報われたのだと思いました。
純粋にアイコンが好きな一般のユーザーの方に選んでいただけたことの喜びが、じわじわとわいてきました。ここで私は、「Pixelpalooza」への挑戦に一旦けじめをつけることができたのです。
「Pixelpalooza」は、結果的にこの年を最後に開催されていません。挑戦してよかったと、今でも思っています。

2007年03月01日

sahoiconの歩み(15)

2003年の夏は、初めてのOSX・XP用食べ物アイコン「TV Dinner」や、念願の和菓子ものである「甘味処・夏」を作るなど、またアイコン作成が充実してきた時期でした。「甘味処」シリーズは、今まで配布してきたセットの中でも、特に人気の高いものになりました。

明けて2004年、OSXものに少し自信がついてきた私は、春頃にかけてOSX・XP用アイコンを連発しました。もちろん、作るのになれてきたからという理由もありましたが、その裏では・・・去年果たせなかった思いを、また果たそうとしていました。「Pixelpalooza」への、3度目の挑戦です。
前回、あのように主催者に公然とたてついた私が、今さらまた出品させてもらえるのか・・・という弱気な思いはありました。そこで思いきってその心配をスタッフ(それも去年悲しい思いをさせてしまった相手です)に打ち明けたところ、快く「そんなことは気にしないよ」という返事をいただき、私はまた挑戦することを決意しました。
前の経験から、技術が重視されることはなさそうだと思い、今度は見て楽しいものをと考えました。その時、以前作った「Sandwich Folders」のような発想はどうかと思ったのです。
出来たセットは「Cheese Folders」。技術的に別に難しいものではありませんが、今までにないもので、見て楽しくて、しかも食欲もそそる。私の持ち味にぴったりだと思いました。
「Classic」部門の出品数は前回の32から、14へと大幅に減っていました。投票期間が終わり、結果が発表された時、私は目を見張りました。

2007年02月17日

sahoiconの歩み(14)

コンテスト終了後の5月に「Rice Dishes」の配布を開始しました。
ただ、セットとしての新作は3月の「日本の春フォルダ」を最後に、しばらく途絶えました。
一連の出来事で、作る気力がなくなっていたからです。
「Rice Dishes」については、いつか別の機会にいろいろお話したいと思っていますが、私にとって今でも誇りに思うセットです。賞は取れませんでしたが、私の中で最も納得のいっている作品の一つです。

次のセット「Japanese 80's Girls」ができたのは6月になってからでした。
そして7月、思いつきで作った「Sandwich Folders」が好評をいただき、その後の「食べ物フォルダ」というジャンルのきっかけになりました。このアイコンが、後に私の「リベンジ」につながることになります。それはまた後日……

2007年02月06日

sahoiconの歩み(13)

Pixelpaloozaの審査への不満が、私の中でアメリカ人への不信に変わろうとしていた時、さらに悪い事情が重なりました。
アメリカがイラクに戦争を仕掛けたニュースを見て、私はふと「イラクの人はどんな食文化を持っているのだろう」と思い、「Rice Dishes」つながりで、イラクの米料理のアイコンを作りました。それを、コンテストの結果が出る前に単品で配布していたのです。
このアイコンの新作情報をIconFactoryに送ったのですが、いつもなら数日で掲載されるのが、1週間を過ぎても掲載されず、他のサイトの新作情報は掲載されていくのです。
コンテストの結果発表後に、私は自分のサイトに主催者への抗議文を掲載したのですが、その中でいつまでも新作情報を掲載しないことへの疑いをぶつけてしまったのです。「私が戦争反対の意味で出したアイコンだから、アメリカ人には都合が悪い、だから載せないんですか?」ということを。

人間、やはり怒り過ぎてはいけません。今ならそう思うのですが。
しばらくしてそれはただの手違いだという返事がきました。IconFactoryの担当者から、悲しみに満ちたメールを受け取った時、私は言ってはいけないことを言ってしまったと思いました。

一方、コンテストへの抗議については、いわば私は結果にたてついたわけですから、それはおかしいという反論をもらっても当然だったのですが、私の思いを理解してくださる方々から、励ましの言葉をいただき、言葉にならないほどの感謝の気持ちでいっぱいになりました。忘れられないのは、自作のトロフィーの絵と共に「あなたは賞に値する」と言ってくださった外国の方がいたことです。トロフィーの上には「Rice Dishes」の中の「いかめし」が乗っていました。何も考えられないほど疲れていた私ですが、その方のお気持ちにになぐさめられました。

この出来事で、私はアイコンサイトを運営していくことに自信をなくしてしまったのです。

2007年01月28日

sahoiconの歩み(12)

コンテストの結果が発表されました。
その結果は、私にとって喜ばしくないものだったと同時に、強い疑いを抱かせるものでした。
審査員は、アイコンを「技術」で評価しなかったのです。優勝したのは、赤ちゃんとその身の回りのものを描いたかわいい作品でした。準優勝は中国のお正月の風物や人物を描いたもので、ぱっと目をひく華やかさがありました。(注:これらの受賞作はこちらからダウンロードすることができます。Mac用のみです。cl1とcl2が該当のアイコンです)
私が「技術で評価しなかった」と言い切る理由は、この2つの受賞作が、どちらも必然性のない32bitアイコンだったことです。32bitアイコンそのものを否定しているわけではありません。これらの作品は、多くの色を必要としなければ描けないような微妙なモチーフではなく、256色で描くのに十分なものでした。32bitアイコンがない時代からこのコンテストは存在していて、いかに256色で表現するかという技術力も審査の対象になっていたはずが……今までそれをしてきたはずの審査員が選んだ2つの受賞作は、使わなくていい多くの色数を使ったアイコンでした。「技術で評価していない」と判断したのはそのためです。
この傾向には思い当たるところがありました。私が最初に出品した2001年は、結果発表で「技術点」も公表されていたのが、次の年にはそれがなくなりました。
技術を重視しなくなったのは、技術に長けた日本人の優勝が多くなったことと関係がある……とある人から聞かされ、私はついに、主催者側にもの申すことにしたのです。

2007年01月24日

sahoiconの歩み(11)

2003年2月、初めてのOSX・XP用アイコン「Jellyfish」を公開しました。
この頃同時に、私は一大作品の作成に取りかかっていました。一昨年に参加したあのコンテスト「Pixelpalooza」に、再び参加することにしたのです。
「Pixelpalooza」には2002年当時、
・OSX
・illustrative(32*32のアイコンで平面的なもの)
・3D(32*32のアイコンで平面的なもの)
という3つの部門があったのですが、「3D」部門ではそれまで何人もの日本人作者が優勝していました。2002年の3D部門の優勝者は、日本人のToshさん(Icon Productsの管理人さん)でした。Toshさんとはこの頃、うらんさんやicon figのひろえさんと共に、メールや互いの掲示板等でよくお話する機会がありました。そして、2003年のコンテストに、ひろえさんと私が出品してみようという話になったのでした。
私は前回、技術をアイデアでカバーするような作品にしたので、今回は今までの技術をフルに活かして、誰も作ったことのない作品を作りたいと思っていました。技術とモチーフで評価されること、それが私の目標でした。
ところがこの年、OSXアイコンの台頭に伴い、部門がまた変わりました。
・OSX
・Candybar(OSX用システムアイコン)
・Classic(従来の32*32アイコン)
つまり、32*32のアイコンを描く者にとっては、狭き門となってしまったのです。
このコンテストのために作ったのが「Rice Dishes」でした。

2006年12月11日

sahoiconの歩み(10)

2002年、この年に作ったいくつかのセットは、その後の当サイトの方向性を決めるものになりました。1月に公開した「モダンガール」は、私の大正・昭和レトロ趣味が全開のセットです(笑)。その後もアールデコやモダンボーイ、近代建築といろいろ作り、当サイトの特色の一つになりました。
また、この年は食べ物アイコンを本当によく作りました。特に「洋食亭」は、レトロ趣味とも重なり、私にとって一つの転機になった作品です。
そしてもう一つ、この年に作り始めたのが「季節ものフォルダ」でした。
6月の「日本の夏フォルダ」が、それまでにないダウンロード数を記録し、うれしいご感想も多くいただきました。たまたま遊び感覚で作ったものでしたが、それまであまり見られなかった季節感丸出しのフォルダで、インパクトや目新しさがあったのかと思います。その後「X'mas Folders」、「春」「秋」「冬」、さらには二十四節気にまで手を伸ばし、当サイトのアイコンの一ジャンルになってしまいました。
この年は、サイトの移転をした以外はアイコンを公開することに専念できた1年でした。しかし次の年、また頭を打つ出来事が起こります・・・

2006年12月07日

sahoiconの歩み(9)

2001年の秋頃のことですが、「2ちゃんねる」内の掲示板で、私のサイトが批判されたのでした。無断配布を声高に批判しておきながら、自分はキャラものの配布をしているなんておかしい、という内容でした。私の痛いところを突かれてしまったのです。同意する人も次々に現れ、人格の批判をする人もいました。
なぜ私や私のサイトが批判の的になったか、今ふりかえるとわかる気がします。私は、無断配布がどうしても許せず、いかに彼らがまちがっているかを声高に主張していたのですが、サイトに来てくださる方の中にはそんな私の態度に違和感を感じる方もおられたと思うのです。サイトをごらんになる方のすべてが、私と同じテンションで怒りを感じてくれることはあり得ないことでした。単にアイコンが欲しくて来たのに、サイトの管理人が何やら偉そうに怒っている、と感じられた方も少なくなかったということでしょう。
サイトを開設して初めて味わった苦しい気持ちでしたが、ちょうどアクセス数が10万人を達成したところだったので、記念セット「縁日へ行こう!」の作成に無我夢中で取り組みました。自分で言うのもなんですが、思った以上に上手く出来たたい焼きやヨーヨーなどを眺めて、自分で「よくやった」と思いました。初めて、自分の作ったアイコンに慰められた気がしました。

2006年11月25日

sahoiconの歩み(8)

サイトの開設から1年を迎え、記念セット「遊園地」を作りました。
この頃、私は様々なアイコンを公開する中で、漫画キャラのアイコンの作成も続けていました。このことが、後に問題を引き起こすことになります。
当時、私を悩ませていた一つの問題がありました。それは、海外のサイトによる無断配布でした。
無断で配布しないでと英語でも明記しているアイコンを、なぜ勝手に配布できるのか。なぜ人のいやがることを平気でできるのか。当時の私にはどうしても理解できず(今でも理解は出来ませんが)、今にして思えば、非常に厳格な態度でその問題に臨んだのです。
無断配布していたのはほとんどが中国系や韓国のサイトでした。著作権に対する認識は、日本ほど厳しくはなかったようです。私は自分のサイトで、それら無断配布サイトの「行状」を紹介するページを作り、無断配布は許されないものだということを、広く知らしめようとしたのでした。
その時、私は自分の配布しているアイコンの問題に気がついたのです。
「無断配布を許さないというのなら、自分が漫画キャラを配布するのはどうなのか?」
この「二次著作物」については、当時もネット上でさまざまな見解を目にしましたが、私は自分の判断でこれらのアイコンの配布をやめることにしました。自分にも落ち度があるかも知れないのに、無断配布サイトのことを批判することはできないと思ったからです。
ところが、問題はアイコンの配布停止後に起こりました。

2006年11月19日

sahoiconの歩み(7)

初めて作った食べ物アイコン「Korean Food」に続き、年明けには「鍋もの」も公開したのですが、作ってみるとやはり食べ物は難しいと思いました。自分では写真の色を忠実に再現しているつもりなのですが、出来てみるとどこかくすんだような、食欲をそそらないような色になっている気がしたのです。食べ物を描くには食欲をそそる色合いというものがカギになるのですが、もちろんそんなことはまだわかりませんでした。
同じ頃、Macアイコンの世界的サイト「IconFactory」が、コンテストの作品を募集しているのを知りました。そのコンテスト「Pixelpalooza」に、思いきって応募してみようと思ったのです。コンテストといえば、日本では「あいこんコンテスト」というサイトが運営されていて、私もすでに何度か投稿させていただき、やっと初めて1位をいただいたところでした。(→私の出品作についての詳細はこちら。ちなみに1位をとった作品は、肖像権の関係で現在では配布していません)そういうこともあって、より腕試しをしてみたくなっていたのだと思います。
何を描こうかと考えましたが、やはり技術的にはまだまだだと認識していましたので、それならばせめて見て面白いと思ってもらえるものをと考え、ストーリー仕立てのセットを作ろうと決めました。ストーリーといっても大げさなものではなく、「次は何?」と見る人が期待するような構成にしたかったのです。作品名は「Good morning」にしました。
このセットは、賞は獲れませんでしたが、25作品中5位という成績で、スタッフの方々からも評価していただきとてもうれしかったです。ちなみにこの当時、OSXアイコンの部門はまだなく、32*32アイコンのみで「SYSTEM」「illustrative(平面的なもの)」「3D(立体的なもの)」の3部門があり、私が出品したのは3D部門でした。

2006年11月05日

sahoiconの歩み(6)

開設当初の『Saho's IconRoom』は、今では配布していない漫画キャラもののほかに、季節ものを当時から重視していました。今はほとんど描かなくなりましたが「南国」「夏の思い出」のように、風景をそのまま32×32のスペースに描くということもよくありました。同時に、この時から一つ思っていたことがありました。それは、「食べ物は描かない」ということでした。
明確なポリシーだったわけではなく、なんとなく避けていたのです。すでに上手な作者さんがおられたので、自分があえて描かなくてもいい、とも思っていました。
ところが、そんな私の思いをくつがえす出来事がありました。
当時、Mac用アイコンの新作を画像つきで紹介してくれていた「Iconist」というサイトがありました。各作品への評価も添えてくださるありがたいサイトで、私もすでに何度も掲載していただいていました。
9月の終わり頃、その「Iconist」に、とても美味しそうなケーキのアイコンが紹介されていたのです。作者はうらんさん。オープンしたばかりのアイコンサイトBeagle1104の管理人さんでした。
今までに見たことのないほど鮮やかな印象のケーキに、私は心奪われました。それからもうらんさんは立て続けに食べ物アイコンを公開され、私はすっかり魅了されてしまったのです。
「食べ物は描かない」という方針を転換し、最初の食べ物アイコン「Korean Food」の配布を始めたのは2000年の暮れでした。

2006年10月28日

sahoiconの歩み(5)

サイトを開設した2000年に公開したセットで、現在も配布しているものは12セットあります。そのうちの3セットは、白黒2色で描いた「モノクロアイコン」です。
前にも書きましたように、私の使っていたパソコンは旧型CPU「68k」のパソコンで、Macの256色のアイコンは表示できましたが、当時出始めていた「32bit(=フルカラー)アイコン」に対応していませんでした。当然、私の描くアイコンも、256色のアイコンでした。私は、自分が旧型のマシンを使っているが故に、新しいアイコンを作ることができないことを、少しも寂しく感じませんでした。当時まだ32bitアイコンの数は多くなかったこともありますが、色数は多いがぼやけた印象になる32bitアイコンよりも、細やかでいて鮮やかな表現が技術次第で可能になる256色アイコンの方に強い魅力を感じたのです。今でも、ResEditで256色のアイコンを作ることは、私のアイコン作成の原点です。
そのようなカラーのアイコンがまだ表示できなかった時代は、アイコンは白黒だったわけですが、2000年当時まだ配布されていた白黒アイコンを見たところ、これが実に印象的で、心のツボにはまるような作品が多いのです。この白黒アイコンの美しさをアピールしてみたい、しかもできるだけ早く、と思いました。パソコンの性能はどんどん進化し、アイコンも32bitものがもっと増えていく、そうなると白黒アイコンは存在そのものが「過去のもの」として片づけられてしまい、見てもらえなくなる、と思ったのです。
最初に作った「Europian Old Goods」は、白黒の神秘性がアンティークものの持つ魅力にふさわしいと思い作りました。その後「日本の夏」「日本の冬・お正月」を作りましたが、古きよきものという題材には、白黒の世界はよく似合うと今でも思います。もっとも「日本の夏」については、最初からカラーで作るのをあきらめていたという事情もあります。なぜならすでにPIXTURE STUDIOさんから「日本の夏」アイコンが配布されていたからで、技術ではとてもかなわなかったからです。ここで正直に告白しておきます(笑)。

2006年09月30日

sahoiconの歩み(4)

サイトを開設はしましたが、そのサイトをどうやって多くの人に知ってもらうか。当時の私にはその知識がありませんでした。開設から3ヶ月の間、私は何度か新作を公開しました。サイト自体の宣伝は、自分の地元関連のポータルサイトなど、少数のサイトにリンクをはってもらってはいましたが、「新作情報」を載せてもらえるサイトがあるということは知りませんでした。
7月になり、Macの新作情報サイト新しもの好きのダウンロードを知ります。現在でもお世話になっているこのサイトに、新作「南国」の情報を載せてもらったところ、驚くべきことが起こりました。それまで1日10人程度だったサイトのアクセス数が、1日100人以上にもなったのです。開設からやっと1000アクセスを迎えたばかりのサイトが、あっという間にその倍のアクセス数を記録したのでした。
宣伝の効果を思い知らされると共に、新作情報を掲載してくれるサイトのありがたさもしみじみと感じました。
さらに、アイコンをごらんになった方から、ご感想もいただけるようになりました。これは本当に、今でもそうですが、何よりもの励みになりました。無条件に「また作ろう!」と思わせてくれるのです。

2006年09月22日

sahoiconの歩み(3)

こうして、いくつかのアイコンセットを作ってしまったわけですが、自分が気に入って作ったものは、誰かほかに欲しい人がいるなら使ってほしいなと思うもので、「ホームページ」の作成を考えるようになりました。
といっても、高価なホームページ作成ソフトなど、使えるわけでもありません。ちなみに当時使っていたパソコンは、Macintoshの「LC575」というモニタ一体型のマシン、しかも「68k」という、PowerMac以前のCPUを使用していたもので、当時でも完全な「旧型」でした。
このマシンで動くソフトも少なくなっていましたし、対応していても、高機能のソフトであればあるほど、動作が重くなってしまい使いづらいという状況でした。
そこで、インターネットで情報を集めてHTMLタグの知識を仕入れ、テキストエディタに自分で記述することにしたのです。実は、今に至るまで、サイトの作成は全て「手打ち」です。ソフトがあれば使ったのかもしれませんが、単にソフトの使い方を覚えるのが面倒だったのです。この性格は、ドットアイコンを作るのに向いていたのかもしれません。わざわざ使い方を覚えてソフトの機能に絵を描いてもらうよりも、自分の手で一つ一つ打つ方がなんか安心なんです(笑)。
サイトを作るにあたって、こだわったのは「タイトルロゴ」と「壁紙」でした。前回書きましたが、「風と共に去りぬ」にはまっていた影響で、気に入った赤いバラの壁紙を使いました。その上に大きな白い斜体のタイトルロゴ。今とは全く違う雰囲気でした。
2000年3月25日、『Saho's IconRoom』はオープンしました。

2006年09月10日

sahoiconの歩み(2)

年が明けて2000年の2月ごろ、当時ポストペットでメールのやりとりをしていた方から、自作のアイコンをもらったのでした。
「アイコンをいただいたのだから、お返しに私も作ってみよう」と思い、当時読んではまっていた漫画「うる星やつら」のラムちゃんの顔を描いて送りました。(注:当時の私は無知でしたが、既存のキャラクターを自分で模写する分には自由ですが、それを他人に配布すると著作権の問題が発生します。)
すると先方が、私のアイコンをとてもほめてくれたのです。私は「もしかしたら、もっと上手くアイコンが描けるようになるかもしれない」と思いました。そして、ラムちゃんだけでなく、他のキャラクターも描いてみることにしたのです。
こうして、最初のセット「うる星やつら」が完成します。
当時、「うる星やつら」のアイコンは複数のサイトで配布されていました。ただ、たまたま私の好みのアイコンがなかったのです。キャラクターを自分で描いたのには、自分好みのものを描きたかったから、というのがありました。
その後も、同じようにはまっていた漫画のセットも作ったほか、漫画キャラだけでなく、やはり当時はまっていた映画「風と共に去りぬ」の登場人物までも作ってしまいました。この「はまる」くらいの情熱は、アイコンを作るときに必ずといっていいほど必要な原動力になります。今でもそうです(笑)。

2006年09月08日

sahoiconの歩み(1)

『sahoicon』のプロフィールをお読みになった方はご存じかと思いますが、私が最初に「アイコン」の世界に触れたのは、1999年の暮れに発売された月刊誌「MACLIFE」(現在は廃刊)のアイコン特集を見た時でした。
総勢76人もの作者さんによるアイコンが、ご本人のコメントつきで掲載されているという、今思うとアイコンファンには夢のような特集でした。その中でも、Macアイコンの大御所サイトPIXTURE STUDIOの伊東秀喜さんと、icon museoの新井達也さんのお二人が大きく取り上げられていました。
今でもそう思いますが、初めて見た伊東さんのアイコンのドーナツやコーヒーメーカーなどのリアルさには驚き!でした。新井さんの風景画の鮮やかさにも心をひかれました。もうお一人、特に心ひかれたのがNor's Icon SaiのNorさんの食べ物や壁紙風模様のアイコンでした。
この特集を読んで、すぐに「よし私も作ってみよう!」とは思いませんでした。みなさんのアイコンのあまりの素晴らしさに、ただただ見とれるばかりで、自分に作れるかもなどとは考える隙もありませんでした。