12年前のあの日の1日
夢を見ていました。
ジェットコースターに乗っている夢です。
「うわー、すごい!」普段ジェットコースター嫌いなはずの私が、歓声をあげていました。
すごい揺れ。なんか本当に揺れてるみたい。
……あれ……ジェットコースターって、前後に動くんじゃなかったっけ……
私は、すごい勢いで、丸太ん棒のように左右に転がされていたのです。
外からは、窓がガタガタ鳴る音がしました。
台風?……って、1月やんな今……
その時、小刻みな揺れが。
「地震?」
ようやく正解を見つけた私は、ラジオのスイッチを入れました。
真っ暗な中、震度を告げるニュースを聴いていました。
震度1でも、地震を感じようものなら固まって動けなくなっていたそれまでの私には、この大きな地震が関西に起こったということが理解できませんでした。
朝食中、震度3の地震で電灯が大きく揺れました。思わず避難場所を探す家族全員。
その日は電車が止まったため、学校には行けませんでした。
出勤した母を、父の車で迎えに行きましたが、なぜか信じられないほどの渋滞。
カーラジオから、犠牲者の方のお名前が絶えることなく流れてきます。
私は堪えられなくなり、自分のウォークマンで音楽を聴きました。
途中、レストランに入って昼食をとっていると、また地震。びくっとして照明に目を向けました。
家族で家に帰り、それ以降のことは、その後の何日かも含めて記憶にありません。
覚えているのは、新聞に載る犠牲者の数が恐ろしい勢いで増えていったことと、一人きりで家にいることが日中でもできなくなってしまったことです。
この恐怖がなくなる日は、もう来ないのではないか。
そう思ってしまうほど、震災の影は濃く、私の心を闇にしました。
あの日から12年。
全国ニュースのトップ項目が震災関連でないことに、関西とそれ以外の地域との震災に対する意識の差を感じます。あれほどの犠牲をもたらした震災は、何年でも語り継がれなければならないと思います。